
昨年の秋にTBS系列で放映された『輪違屋糸里』
浅田次郎の手によるもので、偶然にもちょうどその時原作の『輪違屋糸里』を読みかかっていた。
なんでか憶えてないが、半ばあたりで放り出している。
ホスピスで最近読んだ本について触れた折、MOONさんから強く推奨されたのがこれだった。
あらすじを話し合っていくうちに手放した理由が思い出された。
テレビはあんまり見ないと広言しているアタシだが、実はけっこう見ていたりする(^^ゞ
それでも見入るってことはあまりなく、つまりはほとんどその程度でしかないので、テレビをつけて音は消してるなんてことはよくある。
これを読んでる時もそうだった。
維新前夜で好きな時代だし、それが浅田節ならなおのことと没入して読んでいた。
読みながら時折テレビ画面に目がいく。
読む。
読む。
目がいく。
読む。
目がいく。
ん?
音を出す(笑)
読んでるものが、端から映像化されてた( ̄□ ̄;)!!
声こそ聞こえないから正真それとはわかるはずもないのだが、最初の象徴的なシーン、島原の音羽太夫が芹沢鴨に切り殺されるところなんてありふれてるはずがない。
もしや?...と思って音に聞き、しばし見入ってげんなり...ってのはご想像の通りだ
上戸彩は抜群にかわいいけれど、無理があるって!
そんなアホみたいな顛末で、テレビを消して読むのも止めたんだ、たしか…。
約一年ぶりに読み返してみると、それがどうだ。
途中までは読み知っているとはいえ、信頼に足る
早すぎか(笑)
吉栄天神が姉妹と名乗りあうことも叶わぬまま、死出の病に伏した妹に手向けた胡弓の哀しみ。
侍になり損ないの遣り場のない面目のため、操を捨てる糸里天神の優しさと儚さ。
年に数度も飲まないコカ・コーラを昨日買ったばかりに、頬を伝ったのは黒い涙だったかもしれない。
下巻になるとちょっと飽きてきた(笑)
この手の下りは憶えきれないほど読んでいる。
アルツハイマーは関係ない^^;
いつの時代だってつまるところ人は皆、そうとしか生きようがなく、そうとしか逝きようがないもんだ。
ある人の側から見ればそれは正しくて、その逆から見ればそれは罪となる。
誰しもが己が正当性を謡い、主張する人間が多ければ多いほど人の世の道理は消え去り、獣だけが闊歩する道が現れる。
そこを通る時、ある者は槍を携え、ある者は鎧を纏い、ある者は刀を振り回す。
しかし、おなごは生身のままにそこを往く。
心のうちの正義を噛み潰し、理不尽に耐えて生きることができる女には男衆など所詮かなわない。
いつの時代でも、いい女は強いのだ。
時代物を読む度に羨ましいと思うことがある。
それは死が在常しているところだ。
彼の時代には敢然と死があった。
死して報い、死して証し、死して守る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかりやすい
この切り札を否定している現代人は、ある意味スゴく不自由なのかもしれない( ̄ー ̄)



つまりはあの日のボクはそういう事です。
彼女のお役には立てたようです!ニヤリ
人は、望むと望まざると訪れた結果を受け入れて生きていくものです。
そして人は、ひと時の感情に流されたいものなんです。
すべてを理に計るなんて楽しくもなんともありません。
深遠に潜むその部分の救済こそが真理なのです。
まだまだ修行が足りません!
いや、むしろ逆にあの時はアタシらがMOONさんの解放を手助けしたんですよ。
その真意を汲み取れないとは(笑)